我が子を道具としか思ってない、孫悟空と碇ゲンドウの共通点

今回は『ドラゴンボール』の悟空のディスコミュニケーションについて語っていこうと思います。



 

 

 

 

 

 鳥山明「悟空は子育てに興味がないんですよ、多分。父親としては完全に失格(笑)。働いてもいないですからね。悟空はただ強くなりたいだけで、他の本能はない感じなんですよ。だから興味のないことには本当に何の興味も示さない。きっと結婚も興味なかったんだと思います」


 ドラゴンボールガイド 孫悟空伝説より

 

 

 

 

 


**父親としての無条件の愛


 まず、この画像をご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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   身を挺すピッコロ

 

 ピッコロが敵である悟空の子供を救うため、自分の命を捨てて盾になる場面です。


 ラディッツとの死闘で命を落とした悟空の代わりに悟飯を鍛えたピッコロが一年を共にに過ごすうちに、父性愛に目覚め、悟飯の命を救いました。


 ピッコロは悟飯をサイヤ人と戦うための道具としか考えていなかったはずなのに、最終的には自分の命を捨てて悟飯を救いました。

 

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    忌わの際のピッコロ

 

 「悟飯……オ…オレと…ま…まともにしゃべってくれたのは…おまえだけだった…。き…きさまといた数ヶ月……わ…わるく…なかったぜ……」


 「死ぬ…な…よ……悟…………飯…………」

 

 

 悟飯の命を救ったピッコロでしたが、悟飯と共に過ごした日々は、ピッコロを孤独から救っていた事が分かるシーンでした。


 それどころか、何よりも自分の命が大事だった大魔王が、他人の息子である悟飯の命を救っただけでなく、悟飯のその後を案じていました。

 
 この時点で、悟飯の中では、ピッコロは父親である悟空以上の存在になりました。


 やり方は違いますが、これと同じようなことを行ったキャラクターが他にもいました。ベジータです。未来から来たトランクスが倒された時、ベジータは怒りのあまり無謀な挑戦をセルに行いました。


 その結果、悟空一行はピンチを迎えましたが、トランクスが事後にその顛末を聞かされた時、トランクスは「父さんが…」と誇らしげな笑顔をしていました。


 ドラゴンボールを子細に眺めると気が付きますが、悟空が誰かのために身を投げ出した回数は、ベジータやピッコロに比べると絶望的に回数が少ないです。


 もっと言えば愛するわが子を救うために、彼自身が奮闘するということはまずないです(セル編のラストの悟空の行動については後で書きます。あの時の悟空の行動もためらうことなく平気で界王の命を犠牲にする辺り異常です)。


 
**非情の悟空


 
 こちらの画像をご覧ください。

 

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    悟空の非情


 バトルマニアである悟空は、戦うことが嫌いな悟飯を自分の世界に何の覚悟もないまま戦いの世界に引き入れた揚句、息子が苦しむ様を見ながら何の手助けも行おうとしませんでした。

 

 悟空は普段から笑顔ですが、彼のやっていることは「乗らないのなら帰れ!!」と実の息子を道具扱いしたエヴァンゲリオン碇ゲンドウと何ら変わりません。


 その際のゴクウの非道をピッコロが断罪します。

 
 「悟空……きさまはまちがっている…悟飯はきさまのように戦いは好きじゃないんだ…………!! その作戦、悟飯は知っているのか…」

 

 すごいダメ出しです。「悟飯がどんな気持ちかわかっているのか」って、もはやどっちが保護者かわかったものじゃありません

 

 ここで、読者は悟空が人間として、父親として致命的な欠陥を有していたことに読者は気付きます。息子と精神と時の部屋の中や休暇の間にじっくりと過ごす日々を持っていながら、息子と何ら話し合っていなかった事を。


 現代社会はディスコミュニケーションの問題がしきりと叫ばれていますが、90年代半ばの一見平和そうに見える悟空一家の内情はディスコミュニケーションの修羅場だったわけです。 


 そして悟空自身も自分が戦うのが好きだから自分の息子も同じように戦うのが好きだろうと、また子供を自分の意思で思い通りに出来ると思い上がっていた事に他人であるピッコロの指摘で気付かされます。


「…今、悟飯が何を思っているか分かるか!? 怒りなんかじゃない!! なぜおとうさんはボクがこんなに苦しんで死にそうなのに助けてくれないんだろう…」

 

 改めて文章に起こすと、悟飯の心中が思いやられて思わず涙がこみ上げてきそうです。これはセルとの戦いの場面限定ですが、この言葉はいじめにあっている子供の父への助けを求める叫びと被って見えてきます。


 この場面のピッコロの表情を見れば、直接悟空を罵倒したりはしていませんが、地球を救った英雄の悟空を、非道の限りを尽くした大魔王であったピッコロが責めている事が良く分かります。


 バトルマニアの悟空は、かつて大魔王であったピッコロにもある人間らしい心をまるで持ち合わせていなかった事を読者と悟空は気付かされました。


 戦闘時や駆け引きの際の心理描写を除けば、内心の描写はドラゴンボールはあまり描かれませんが、上の画像の際の悟空の内心はいかばかりのものだったでしょうか。


 かつてアクマイト光線を浴びた子供の頃の悟空は悪の心が全く無かった為、何の効果も無かったですが、実は悟空には人間としての、善悪両方の心が最初から無かったのではないでしょうか。善と悪の心は表裏一体です。悪の心が全く無かった悟空には善の心も無かったと考える方が自然です。


  現に、この後悟飯の苦境を見捨てて置けなかったピッコロは、自分の戦力差の彼我を無視して悟飯を助けに行こうとしました。戦闘時においては頭が切れすぎる悟空は自分の息子の命のピンチにも動こうとはしませんでしたが。


 この他にも悟空がピッコロに父親として負けている描写がありました。悟空は笑顔でしたが、本当はピッコロに嫉妬を覚えるか、悟飯に怒りを覚えていたのではないでしょうか。

 

**父親との同化を拒む子供

 

 それは精神と時の部屋で修業を終えた悟空親子が最後の戦いに挑む時に、悟飯はピッコロと同じ戦闘服をねだったことです。


 あの年代の子供は(特に精神と時の部屋でゴクウ親子は長期間を過ごしました)、本来無条件に強い父に対して憧れを抱きます。


 ましてや、現時点で宇宙最強の悟空です。 強い父親との同化意識が働いて、父親と同じ戦闘服や胴着を求めるのが筋でした。 しかし、悟飯はピッコロに服をねだりました。


悟飯「ピッコロさん、僕も格好いい服をください」


ピッコロ「分かった、格好いい服をプレゼントしてやる」 


 我々もあのシーンは自然に描かれていたので特に違和感を感じなかったでしょうが、もしいつもの悟空だったら、「どうした悟飯よぉ、オラの胴着は着たくねぇのか」と突っ込んでいたでしょう。

 

 というか、もはや我が子に「車を買って、お願い」とねだられる親そのものです。余談ですが、不遇な少年時代を過ごした鳥山明氏は、子どもに関してはベタ甘だと、単行本の柱の記事にありましたが、ピッコロやベジータの子煩悩な姿を見ていると、そうした先生の家庭の光景が目に浮かびます。

 

 
 話を戻して、改めて悟空の口調を文章にするとわかりますが、悟空の言葉使いはあまり品が良くないですね。悪い言い方でいえばヤンキーそのものです。そういえば、嫁のチチにも本人に悪気は無かったもののドメスティックバイオレンスを働く場面がありましたね。

 
 閑話休題 
 

 なぜ悟飯はピッコロの戦闘服を望んだかについてですが、悟飯は精神と時の部屋で長期間親子水入らずで過ごした悟空よりも、ピッコロに父性を感じたことが、ピッコロと同じ戦闘服をねだった理由だと思います。また悟空の強さよりも、ピッコロの優しさを悟飯が欲しがっていたからです。


 ピッコロの優しさとは父親としての責任と愛情と自己犠牲です。しかも、一度は自分の身を呈して悟飯の命を救っています。


 ナッパから放たれた気弾により訪れた悟飯の決定的なまでの絶命の危機を、ピッコロは己の命を捨てることで救いました。


 この瞬間、今まで厳しいだけの他人だったピッコロが、ご飯の精神的な父親に進化した瞬間でもありました。それはピッコロが悟飯の父親になったというだけでなく、悟飯の中でもピッコロは父親になりました。

 
 普段は厳しいが、極限状況下でも自分を無条件に助けてくれる父の存在。それがピッコロであると悟飯の脳裏に深く刻まれました。


 この行為は理屈ではありませんし、実際に命を掛けて自分を守ってくれたという事実は覆ることはありません。しかもピッコロはドラゴンボールの消滅の危機を犯してまで悟飯の命を救っています。


 対して悟空はどうでしょうか。

 
 家では母親であるチチに押し切られて修行も出来ず(悟飯の適性もありますが)、ろくに働く姿や父親らしい姿を見せていない可能性が高いです。 特に平和な時代だと、戦う機会も無かったため、悟空が父親らしい姿を見せた回数はおそらく少なかったでしょう。
 

 そして父親らしさや男らしさが発揮される機会がやってきても、その機会をピッコロに取られてしまいました。その悟空の姿勢は息子のほうをまるで見つめていなかった団塊世代の子育てと被って見えます。


 
 これは私の個人的な体験に基づく見解ですが、幼い子供は自分の危機を救ってくれた人を父親だと思い込む瞬間があります。


 今から話すことは私が幼い頃の体験談です。


 
 まだ私が幼かった頃、エンジンがかかった車の中でお留守番をしていたことがありました。


 勘の良い方はお気づきだと思いますが、気にせず続けます。


 私は運転席で車の運転手ごっこをしようとして、助手席から運転席に移ろうとしました。 古い車だったこともあり、運転席への移動の際に私は手か足かで、知らない間にニュートラル状態だったレバーをバックに入れてしまいました。


 サイドレバーは掛っていたのか掛っていなかったのかはもう覚えていませんでしたが、私を乗せた車は少しずつ後ろに下がり始めました。運転席のドアが開いていたこともあり、私の乗っている車が少しずつ少しずつ大きなドブ河に向かって落ちようとするのが見えました。


 その際に足がすくみながらも逃げようとして私は車から落ちましたが、バックする車のタイヤが4~5歳だった私の右足を轢きました。


 そして私の乗っていた車があわやどぶ川に落ちようとする間際に、私の父が入っていった建物から一人の男性が飛び出してきて、車を緊急停車させました。私はその人に向かってこう叫びました。「お父さん、お父さん!」と。


 実は父親ではなく、別の人だったのですが、私にはその人が父親のように輝いて見えました。


 結局その人はその場に居合わせたゆきずりの人だったのと、その後の怪我の治療などの騒動でそのときの記憶はかなりあやふやになりましたが、今でも裂けた跡が残る足を見るたびに、その人のことを思い出します。


 その人は間違いなく私にとってヒーローでした。


 さて、話をドラゴンボールに戻しますが、そんなピンチを救ってくれた人が父親の身近に常にいたら、ピンチを救ってもらった彼は心の中で、どちらを父親と思うでしょうか。建前は父親の悟空でしょうが、身を呈して自分を救ってくれたピッコロへの慕情は消せません。


 そうした悟飯の心の中の父親という思いや葛藤が、悟飯にピッコロの戦闘服をねだらせたのだと思います。

 

**罪悪感と贖罪


 
 そして、上に上げた画像の場面で、悟空は己が考えの甘さと父親として失格だった事を気付いて後悔しました。また悟空の稚拙な作戦は、16号の献身と自己犠牲によって悟飯の怒りを引き出す形で何とかなったとは言え、悟空の心には悟飯への罪の意識が充満していました。そしてその贖罪の意識は悟空にある行動をとらせる事となりました。


 余談ですが悟飯が16号を失った事で怒りに目覚め、好きでもない戦いに身を投じるくだりは、『エヴァンゲリオン』の碇ゲンドウの手口(傷だらけの綾波をシンジに見せる)とシークエンスが良く似ています。


 自分が怒りに目覚めて戦わなかった事で、16号の命が永遠に失われた事は悟飯の心に大きな傷を残したはずです(機械とはいえ現に目玉が飛び出てましたから)。
自分の無力さのために一つの命が失われたという体験は並大抵のものではありません。


  閑話休題

 

 その悟空がとったある行動とは、自らの命を以って償う事でした。その際の償いは、悟空なりに色々考えたものでしたが、瞬間移動の能力と悟空の超スピード能力を以ってすれば、界王様とバブルス君を引き連れて即座に地球に帰還する事も可能だったと私は考えてます。


 しかし悟空は自分が父親失格と考えて、己が犯した罪を償うためにあのような行動をとったのではないでしょうか。


 詰まりは「悟飯の心をまるで分かってなかったから、悟飯にあわせる顔が無かった」という理由で。


 それは、ナメック星のドラゴンボールを使えば悟空は地球に生還できたのに、敢えてそうしなかった事を考えても明らかです(物語の都合は置いといて)。


 悟空は界王様の世界で父親としての責任と役目を放棄して、永遠に戦っていられるという特典の方に魅力を感じたと言えます。


 こういう事を書いていると、段々悟空が帰宅拒否症候群に掛かったサラリーマンに思えてきました。

 

 実際悟空は、「自分が戦いたい」という目的のために、妻や子供や家庭の幸せを犠牲にしてきました。先頭ばかり描かれていたドラゴンボールの世界では、勉強がどれほどの意味があるのかは分かりませんが、悟空は常に家庭を戦いに巻き込み続けました。しかも、息子の気持ちをロクにわかってやれなかった悟空が、いまさらどの面を下げて家庭に収まれるのか。


 そうした点で言えば戦闘民族のエリートであるべジータの方が、悟空よりも人間らしくて家庭的であったと言えると思います。


 


**日常への回帰 


 セル編の最後近くで、天津飯が悟空達と袂を別ったシーンがありました。

 

 

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  バトルマニア達と別れる天津飯

 

 このシーンは妙に浮いていたように記憶していましたが、こうした親子間のディスコミュニケーションや、常に戦う事を最上に置く偏った価値観の人間たちと袂を別ち、天津飯が自分の人生を生きていこうとしたのではないかと私は考えています。


 強さだけが求められる世界でその強さが発揮できず、また悟空の家庭が崩壊する有様を見せ付けられたら、常に戦い続けるだけの人生に疑問を持つのも当然だと思います。
 
 
 天津飯の「たぶんみんなにはもう会うことがないとおもう………… じゃぁ達者でな」という永別の言葉はそうした彼なりの決意だと思います。


 普通ならばジョジョの第三部の永久の別れの言葉でもある「何かあったらまた呼んでください。すっ飛んで駆けつけますよ。それじゃあな、しみったれた爺さん、そしてそのケチな孫よ、俺のことを忘れんな」とディオとのラストバトルで足手まといだったにも関わらず、仲間を大事に思い、また大事に思われたポルナレフが口にしたようなリップサービスを行うはずです。

 
 しかし天津飯「たぶんみんなにはもう会うことがないとおもう…………」という言葉に込められた意味は、「もうお前達みたいに戦い続けておかしくなるのは御免だし、毎度毎度戦いのたびに私生活を犠牲にするのも御免だ」という意思が込められていると思います。

 

**最後に


 先日、私は自分の父と始めて膝を交えて話し合いをしました。父が懇意にしている会計士の方から父が叱責されたのがキッカケでした。


 その会計士の方は父にこう言ったそうです。


 「父親であるあなたが、息子の将来について真面目に考えなくてどうする! 世間の他人は赤の他人の面倒を見たりはしない!」と。


 この言葉を聞いて父はショックを受けたそうですが、逆に考えるとそれは、この歳まで父が家庭や家族に対してまるで無頓着だったことの証明でもあります。

 
 ですが、私の父に限らず、そうした家庭に無頓着だった父親は思いのほか多いと思います。


 そして、それの反映が『ドラゴンボール』の孫悟空だったと私は考えます。


 今の時代にもし、ドラゴンボールが連載していたとしたら、孫悟空はどのような父親像を我々に見せていたのか、ちょっと気になります。