徳を積めた人と、「得」を詰めこもうとしてパンクした人

最初に

 今日の新聞を読んで、人がほぼ同じ年代なのに、物事の考えを左右する「考え方」に出会うか、出会わないかでこれほどの差が出るのかという、悲しい事案に遭遇しました。

 

 今回のお話は、モーレツ社員を気取って頑張る内に我利我利亡者になってしまった人と、人に譲ることを覚えたことで日々を心安らかに過ごせる人との対比です。

 

神戸新聞7/20 読者文芸(14ページ)より抜粋

 

 今からご紹介する二つのエッセイは、対極的なエッセイです。まず、我利我利亡者の方のエッセイからご紹介しましょう。私が読んでてところどころ引っかかってしまった場所を赤文字にします。

 

 平田 善明 58歳会社員 市川町在住 作

 

「人生、頑張らなくていいのですか?」

 〈頑張らなくていいんです〉なんて題名の本を書店で見かけた。多分、売れているのだろう。ベストセラーか? 平積みで店頭に何十冊と並べて置いてある。

 

 著者には失礼な話だが、私はこういったたぐいの本が大嫌いだ。好きになれない。

 

「自分を好きになる方法」なる本も同様だ。

 

「人生、頑張らんとアカンやろっ!」

 

「自分を好きになる方法は自分で考えろっ!」

 

 と思わずケチを付けたくなるのである。

 

 そんな言葉で若者を甘やかすから人間が駄目になる。人間が弱くなる。

 

 私達、大人の責任も問われる。

 

 人はだれも、弱くてもいいなんて思ってはいないだろう。少なくとも男は強くなくてはいけない。強くなくては家族を守れない。

 

 ライオンの世界を見ればわかる。強いオスのもとにメスが集まる。しょせん、人間も動物なのだ。知恵を絞り出し、あせにまみれ、傷だらけになりながらも戦ってこそ明日があり、生きる歓びも見えてくるというものだ。

 

「草食系男子などと言われて笑っている場合じゃないよ、そこの男子。バカにされているんだから。 社会に出れば弱肉強食の世界が待っている」 

 

 それを教えるのが大人の責任だ。

 

 男だけでなく女も考えて欲しい。甘食系女子もいただけない。そんなにスイーツが食べたいのか? 美味しいものを食べたいという欲求を全否定するつもりはないし、私にもその欲求はあるが、それが生きることの全てではないだろう。そんな時間があるなら美味しい料理の作り方の一つでも覚えたほうが、人生が充実すると思うのだが。

 オマケに、何を見ても「かわい~」って、やめてほしい。そんな曖昧な一言で物事を片付けるんじゃない。他に言うこと無いのか?と言いたくなる。

 

「勘違いするんじゃないよ、世の男性諸君。女は男に可愛さなんか求めてはいない。強い男を求めていることを努々忘れてはいけない」

 

 こんなことを言うと、「フル~イ」などと言われてしまうけど、人生を楽しみたければ頑張るしか無い。本当の感動が欲しければ頑張るしか無い。

 

 私が言いたいのは、男も女も自分のために頑張ろうということ。やっぱりね、頑張らなければ未来は見えない。迷路に迷い込んだままの人生なんて真平ゴメンだ。イチローも錦織も頑張ったから人生が充実しているんだと思う。

 

 私は名もなく、金もない市井の人間だけど、それなりに頑張って生きてきた。

 

 二十代で大恋愛をして駆け落ちをした。

 

 当時、私は相思相愛に憧れていた。自分が他人を好きになることは、小学生の頃からの経験で痛いほど分かっていた。

 

 けれど他人からも好きになられ、お互いが好き同士になる感覚ってどんなだろうと憧れ続けていた。そんな時、私の前に彼女が現れた。

 

 十八歳の社会人。私は二十四歳だった。

 

 一目見た時から好きになったが、すぐに声をかけるのも品がないと思い我慢してたら、二度目に会った時に、彼女から話しかけてきた。

 

 早々に初デートの約束にこぎ着け、その後は彼女中心の生活が始まった。仕事場では残業お断り。休日出勤とんでもない。ともだちとの遊びの約束はできるだけ避けた。貯金をはたいてドライブように車を購入。彼女のためにフランス料理のフルコースも初体験した。

 

 その甲斐あって、一年後には結婚を前提に付き合うことの承諾を彼女から得たが、私の何処が悪かったのか、彼女の両親の猛反対に遭った。そこで実行したのが駆け落ちだった。

 

 しかし、翌日には彼女が家に帰りたいと言い出した。親に心配をかけたくないというのがその理由だった。仕方なく私は彼女の家に生き詫びを入れた。私は彼女のお父さんとお母さんに泣いて謝った。

 

「あんたは、未成年の女の子を誑かして拉致同様のことをしたのだ」

 

 と責め立てられた。私は、ただただ泣いて謝ることしかできなかった。

 

 でも、それが男としての失点となった。

 

 彼女の私に対する態度が、その日を境に一変した。恋愛感情が一気に覚めたようだった。一泊二日の逃避行はあっけなく終わり、私達は別れた。

 

 やはり男は女の前では決して涙を流してはダメなのだと悟った。

 

 今、思い返しても苦い思い出だが「結構、頑張ったよな」と自分に言ってやりたい思いもある。

 

 三十代で私は大乱闘の末、前歯二本をなくした。

 

 当時私は会社の研修で宿舎生活をしていた。退屈だったので、夜中に宿舎を抜け出し繁華街に出た。そこで五人のチンピラ集団に喧嘩を売られた。多分、物珍しげにキョロキョロしながら歩いていたのだろう。田舎者丸出しだ。あげく不良たちの餌食になった。

 

「どこ見て歩いとんじゃ」がチンピラの第一声だった。ぶつかって来たのはチンピラの方だ。理不尽な言いがかりだった。ここで逃げる訳にはいかない。

 

 売られた喧嘩は買わなければ男ではない。空手の覚えもある。がむしゃらに応戦した。私の下段蹴りと肘打ちでチンピラ野郎の二人が膝をつき戦意をなくしたのがわかった。残るはあと三人。と思った時、パトカーと救急車がけたたましいサイレンを鳴らしてやってきた。

 

 チンピラ五人は一目散に逃げた。取り残された私の上着は血で真っ赤に染まっていた。前歯がなくなり、口から血が流れていた。私が救急車に乗ることを拒否すると、パトカーで警察署に連れて行かれた。簡単な事情聴取を受け、私は警察署を後にした。前歯はなくしたが男の誇りは守った、私は頑張ったのだと、一人納得した。(引用者注 さすがに突っ込まざるをえない。無断で外出して、現地の人間の諍いを起こして会社の担当者に迷惑をかけて、何が男の誇りだ。頑張りが全部勘違いになってますがな)

 

 私は悪ではない。暴走族でバイクのワッパを握る時間はなかった。バイクより耕運機で田んぼを耕した。家業を手伝わなければオヤジに張り倒された。雷親父が、私の非行を思いとどまらせたと思う。(単純に、オヤジにびびってただけでは……)

 

 四十代、私は仕事バカになっていた。チンタラしている役職者は降格させ自主退職に追い込んだ。仕事のできない人間は辞めれば良いと思っていた。降格を通知された先輩社員は涙を流しながら、震える手で辞表を書いた。

 

 私は、それも自業自得と、冷ややかな目で見ていた。今から思えば非情なことをしたものだと思う。長年勤めた会社を定年前に辞めさせられる屈辱と家族の苦悩を、その時の私には思いやる優しさはなかった。その報いはやがて、私にもやって来るのだが、その頃の私は間違いなく、仕事に頑張っていたと思う。(頑張ったを自己正当のためのマジックワードとして多用しているが、実際には頑張ったという言葉に実態はない。また、彼は自業自得と言いながらも、自分の残酷な意思のもと、先輩を辞めさせただけなのだが、実際は体よくリストラに利用されただけで、のちに自分も直ぐにリストラされただけという気がします)

 

 五十代前半、頑張った甲斐あってか、私は五十歳で支店の長になった。(五十代前半と五十歳が矛盾しているので、推敲してないと思います)支店のトップだ。特別速い出世でもないが、遅くもない。

 

 高卒にしては順調な会社人事を歩んでいた。誰にも負けない。そんな思いあがりの絶頂期を迎えていた。しかし人生、順風満帆とはいかない。

 

 五十代後半、定年を二年後に控え、あろうことか副店長が会社の金に手を付けた。直属の部下の横領だった。指導監督過怠。私は管理者失格の烙印を押され、会社を追われた。(多分、横のつながりが弱い我利我利亡者だったので、先輩社員をリストラに追い込んだ件も含めて、人望はゼロだったのでしょう。庇ってくれた人もいないみたいですし)

 クリスマスイブに会社が私に突き付けたのは”諭旨解雇”の文字だった。〈コレは私の推測ですが、クリスマスに諭旨解雇を食らうということは、恐らくはこの筆者も金を横領していて、それを部下が真似したのではないでしょうか。この手の「俺は頑張ったから何をしても許されるはずだ」というタイプは倫理観が薄い可能性が高いですし、普通は支店長を降格もなしに諭旨解雇するなんて考えられません)

 

 その日から私の放浪の日々が始まった。

 

 度に出たわけではない。心が、見えない未来の迷路の中をさまよっていた。(本人は冒頭部で「迷路に迷い込んだままの人生なんて真平ゴメンだ。」と言ってました。あれ?)

 

 深夜に目が覚め外にでると一日の仕事を終えた遮断機が常夜灯に照らしだされていた。街全体が寝静まっている。

 

 四十年近く頑張ってきた職場から、突然、絶縁状を渡され、私の心は行き先を定めることが出来ず、彷徨っていた。人生の無常が胸を締め付けた。

 

 しかし、ここで無く訳にはいかない。逃げる訳にはいかない。絶望を受け入れる訳にはいかない。

 

 私には守らなければならない妻がいる。子どもたちにくじけない生き方を教える義務がある。(部下に人望がないこの方が、子供や妻にどんな目で見られているか、また相談を全くした様子もないこの人の家庭が何となく伺えます)

 

「がんばらなくていいんです」なんて口が裂けても言えない。

 

 人は艱難辛苦の中で生きている。泥水に顔を突っ込まれ、「助けてくれ~」と泣き叫ぶより、「クッソ~、負けてたまるか」と踏ん張って生きていきたい。自分が生きてきた価値は自分で決める。頑張らない人生に価値があるとは到底思えない。(もはやツッコミ疲れましたが、この方に「頑張るってどういう意味ですか」と尋ねても「頑張るって、頑張るってことだよ」というトートロジーが返ってきそうです)

 

 自分を大切にしたい。自分自身を好きになったままで死んでいきたい。 

(「自分を好きになる方法」なる本も同様だ。

 

「人生、頑張らんとアカンやろっ!」

 

「自分を好きになる方法は自分で考えろっ!」

 

 と思わずケチを付けたくなるのである。は何処に行った?)

 

 

 人間は一人では生きていけない。それは分かっている。他人からの優しい言葉は生きる力になる。私も他人から励まされ生きる力を得て生きてきた。

 

 空虚な心を埋めてくれたのは友だった。(其の割に困ったときには出てきませんな)

 

 言葉の悲しみを癒してくれたのは妻だった。

 

 心が折れそうになった時、子どもたちの顔が浮かんだ。 

 

 それでも、最終、頑張るのは、頼りにするのは自分なのだと私は思う。

 

 死に際には、共や妻や子どもたちに「ありがとう」と言うだろう。

 

 そして、最後の一言は、自分自身に「よく頑張ったな」と言ってやって、あの世に逝きたいと思っている。

 

 せめて自分だけは自分を褒めてやりたいと思う。(つまり誰からも褒めてもらえなかったし、頑張りを認めてもらえなかったと。また、自分で自分を褒めるって、それは彼の嫌いな女子の論理ですがね)

 

 私は、そんな人生の最終章を送りたい。

 

 ライオンのオスは戦うことを恐れない。〈勝ち目のない戦いや、無益な戦いはしないけどね)

 

 しかし、戦いを好まない。

 私は戦いの強敵は自分の心の中にあると思う。頑張る自分は好きになれる。

 だから「人生、本当に頑張らなくていいのですか?」と思ってしまう。

 

 総評

 

 自己正当化のオンパレードで、頑張るという言葉を多用しすぎているため、ガンバルのゲシュタルト崩壊を起こしています。文章を書いたことのない人って、こんな文章や矛盾を平気で書けるのだな、とある意味感心します。

 

 この方は一度、「頑張らなくてもいい」という本を読んで見る必要があると思います。でないと、いつかボキッと折れます。

  実際、頑張っても若手の場合、リターンが少ないのと、見返りがなくても日々のコツコツを出来るようにというだけのお話だったり。つまり、見返りありきで頑張った結果、筆者は心が折れてしまったわけでして。

 

 彼は「頑張る」という言葉を信仰として、「頑張る」という言葉を盾に、他人を蹴落としたり、他人に対する慈悲の気持ちを持たない残酷な人間に成り果てていたわけですが、自分が悪いことをしたという自覚もなしにリストラを行っていた辺りが、実に無慈悲でオー、ブッダと言いたくなる次第です。

 

頑張らずに徳を積むことを考えた人のエッセイ

 

 では次に、全く同じ誌面に載っていた、ほぼ同年代の方のエッセイです。実に読みやすいのは、彼の生活階層の違いが露骨に現れていてなんとも残酷です。

 

 「積徳運転」       

            山本利秋 64歳 社会保険労務士 神戸市北区在住

 

 

 相当以前のことになるが、奈良県へ来るまで行くと、歩道橋などに「積徳運転」なる看板が掲げてあるのをよく見た。交通安全標語と思われるが、他府県では見かけないので印象に残った。

 

 交通安全標語と言えば、「飛び出すなクルマは急に止まれない」や「せまい日本そんなに急いで何処に行く」など語呂がよく、内容もなるほどというものが多い。

 

 それに比べて積徳運転とは一体どんな意味なのだろうか。奈良は名刹が多く、そこには徳を積んだ僧侶も多いからなのだろうか。

 

 最初は次のように考えた。

 

 積徳とは徳を積む事。つまり子どもやお年寄りに注意をはらい、スピードは控えめに、安全で徳のある運転をしてください、ということだろうと……。

 

 長年頭から離れないでいた積徳運転だが、最近こうではないかと思うようになった。

 

 つまり、凡人がクルマを運転すると、他人の乱暴な運転に腹を立て、車間距離を詰められれば怒り、よろよろ走る自転車に苛立つ。しかし、実はこれらは車の運転をするものに課せられた試練ではないのかと……。

 

 クルマの運転を修行と捉え、運転から生じるさまざまな試練に、真摯に対応することこそ積徳運転ではないかと思うに至ったのである。

 

 他人の乱暴な運転に対しては、それに反発するのではなく、彼の事故を心配する。車間を詰められれば、急いでいるのだなと思い道を譲る。不安定な自転車には停車して行き過ぎるのを待つ。そんなことが出来るのか、と最初は思うが、一度自分の態度を決めると、存外出来るのである。

 もちろん、他人の運転だけでなく、まず自らの運転を改めなければならないのは言うまでもない。例えば次のようなことだ。 

  私は毎朝の車通勤時、渋滞している車列に脇道から入っていかなければならない。以前は車列の間隙を見つけて、半ば強引に自車を割りこませようとした。すると意地でも入れるものかと邪魔される。しかし、最近は方向指示器を点滅させて、車列から少し離れ、五~六台あとに入れてもらえば良いという気持ちで待つことにした。

 

 すると不思議なもので、相当の確率で道を譲ってくれるのだ。積徳運転に見返りを求めてはいけないが、これは功徳なのかもしれない。

 

 奈良県のこの標語が、私の言うような意味で作られたのではないと思うが、見るものによって自由に解釈できる「積徳運転」は、一般の標語に比べて懐が深い。

 

 松下幸之助は「人間として一番尊いものは徳である」と言ったが、毎日の運転でその徳を積み上げることが出来るのならば、この標語に感謝しなければならない。

 

 今でもこの標語はあるのか、久しぶりに大和路へ出かけたくなった。

 

 総評

 

 何も言うことはありません。先ほど紹介した「頑張らなければ」の人とは、余裕も相手に対する気遣いも雲泥の差です。多分、頑張らなければの人って、車を譲ることも、「勝った負けた」で判断しているのかも。